IVYポサリさんの日記 |
2009年09月14日 11:56
|
40数年ぶりの大倉山!
|
ボクの出た青木小学校では、何故か秋の遠足は小1から小5まで、大倉山公園だった。 何にもない広場で、ただ遊んで、弁当食って帰ってくるだけ。 きっと先生達が面倒くさかったんだなと思う。
その頃の大倉山のこの建物、子供の時は国会議事堂みたいあだなあと感じた。当時はかなりくすんでいて怖かった。人の気配も全く無く、「国会図書館大倉山分室」と看板が掛かっていたので、それで国会議事堂なんだ!と一人納得していたのですよ。
大倉精神文化研究所がここにこの建物を建てたのは1932年。「東西両洋における精神文化の学術的研究を行い、知性並びに道義の高揚を図り、公民生活の向上充実に資し、もって世界文化の進展に貢献する」
うわー。難しいヨ! 設計の長野宇平治氏はギリシャより以前のクレタ様式に知
を感じたらしい。
今は市の所有物になり、市民が自由に使える。小ホールではクラシックの演奏会が。皆さん東京藝術大学のご出身。
感じは若き高校の音楽の先生という雰囲気。美術の方を出た知人が結構いるが、高校の美術の先生になった方が良いと思う人が多い。戦後の大学令で「教育者の養成」も目的になっていたから、ま いいか。
昔遊んだあたりの梅園にも行った。戦前は2000本あったけれど、戦中戦後にほとんど切られ、燃料になり、そのあと芋畑になったとか、今は150本と書いてあったが、静かで品のいい梅園だった。仔猫が捨てられていて、ちょっと胸がいたんだのね。
んでもって、そのあと、一時騒がれた「エルム通り」へ、ギリシャ建築風の店舗が並ぶ洒落た通り!のはずだったが、途中に小さな畑がいくつかあったりで、何かユニーク。
写真のドアはトイレで、「おす」が嬉しい。昔はほとんどが引き戸だったからか。「おす」は男性用の意味もあったか!?
|
|
|
コメントが、5件あります。 |
|
|