IVYポサリさんの日記 |
2021年08月28日 15:01
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徒然なるままに①「フジテレビ編」
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思いついたことを書いてみます。
「フジTV復活はいかにしたらできるか」
答えは簡単です。
お台場の本社を売却して、新宿に帰るのです。
フジTVは大元は有楽町のニッポン放送の社屋で産声をあげ、新宿区河田町で開局しました。地下鉄「曙橋」から徒歩数分の場所です。近くには市ヶ谷の防衛省や駐屯地、警視庁の機動隊の部隊もありました。 TV局としては他局より不便のようですが、新宿が近いので仕事が終わると新宿で演劇人や映画人たちとワーワー騒ぐという局でした。
当初は「母と子のフジTV]という路線で、キー局ではテレビ朝日(当時のNETテレビ)と最下位争いでした、その下に番外地として東京12チャンネルが。
1980年代になって「たかがテレビ、されどテレビ」を掲げ「軽チャー」路線を柱にガラリと変容。
1984年には視聴率トップに躍り出ました。
以後王者フジテレビ、ときどき日本テレビという
ランクが20数年続きました。
それが、視聴率をテレビ東京に抜かれそういうとこまで落ちてしまいました。そのきっかけは2つあります。
①27年前の本社のお台場移転。東京都市博覧会が開催されれば、大会社群の真ん中にあるTV局になったはず。結局お台場にビルを建てたのは「サントリー」と「シェル石油」だったかな、他の企業はみんな計画撤回で逃げちゃった。
かくして取り残されたフジTV、陸の孤島のTV局にってしまった。とにかく不便、ゆりかもめでも車でもレインボーブリッジを渡るので時間がかかる。タレント売り込み、企画売り込みは来ない、社員も出先から直帰しちゃう。だんだん力が落ちてきました。
電波送出が東京タワーから東京スカイツリーに移りTV局のチャンネルナンバーをみんな一けたにしようと。 テレビ朝日が10⇒5へ、テレビ東京が12⇒7へ。結果フジTVの8が一番大きな数字に。
ここで何が起こったか
「新聞のTV欄」
一番左にNHK総合、Eテレ、NTV、テレ朝、TBS,テレ東、フジテレビ という順番に。
ほとんどの人は
NHKから右へ流していくという癖がついている、12ちゃんねるなんて目もくたびれてくるし見なかった、その場所にフジテレビが座ることに。
このチャンネルNoは変ることが出来ない。
新宿の都庁周辺の巨大ビルはコロナのリモートワークで空部屋だらけに。三井不動産(三井ビル)も本社を日本橋に移したい。 そこへフジテレビが行けば、あの巨大な新宿のエネルギーを取り込める。「笑っていいとも」は新宿駅のそばのスタジオアルタでやっていたからいろんな情報や新人たちを発信できた。
NHKは渋谷、他のテレビ局はみんな港区に集結。新宿という巨大な情報の渦の中にもどれば
絶対にじり貧から抜けられる。吉本興業なんてゴールデン街に東京本社を建てましたよ。この柔軟性を取り戻してほしい。
と、僕は思う
長くなってスイマセン。 あ、追伸です。
翠嵐高校のOB、あの名物プロヂューサー横沢瓢さんの早世もフジには痛手でしたね。
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