IVYポサリさんの日記 |
2015年12月26日 15:26
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旧赤線地帯を歩く①
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平日の昼下がり、浅草駅から東部スカイツリー線で曳舟へ行く。乗客のほとんどは「スカイツリー駅」(旧業平橋駅)で降りた。曳舟はその次の駅。
曳舟でおりて、駅前から路地を抜けて、水戸街道を渡ると、そこは「鳩の街商店街」の入り口。
鳩の街は、空襲で玉の井が焼けたあと、1キロ隣のこの地区に何人かの売春行者が移ってきて、始めたようだ。
進駐軍をお客に取り込もうと平和のシンボルのごとく「鳩の街」と名付けたらしい。
とにかく進駐軍もいっぱい来て賑やかだったが、性病も蔓延し、GHQは兵士の鳩の街への出入りを禁止。 昭和32年まで日本人客で大いに栄えたという。
昭和32年、東京タワーが完成する前年、売春禁止法が施行され、僕らは行く機会を逸した。
たしか、僕ら中学生だもの、横浜の真金町へ行ったという強者は誰もいなかった。
鳩の街商店街は、道も細く、玉乃井と並んで「火事になったらやばいよエリア、ナンバー1と地元の人。
商店街は唯の下町だが、一本裏の路地へ入ると、そのような建物が、、
特徴は
タイルの柱や壁、色つき瓦、Rの曲線が効いた建物。
一般住宅としてひっそり使われているので、写真も迷惑にならないようにパシャがマル必。
ほんと、ひっそり、そしてすすけていた。
最後に商店街の古民家カフェに入ったら。
この2,3年でだいぶ消えましたと、、ここもあと数年で色町建築は消滅かな。
ほとんどをカフェと称し、それ風の外観に強制的にされたというのは事実。
入り口の脇の小窓、そこで「おいでおいで」をして、入った客は2階に案内する。
①鳩の街商店街入り口。、ちょっと入って、右側の裏通りや路地に旧カフェがある。
②2連の入り口を持つカフェ
③Rの曲線のベランダ、2階のまどから客や女性は何を見たのだろうか。
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