IVYポサリさんの日記 |
2011年01月26日 16:30
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55年ぶりに青木小学校に入る。
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「青木小学校で、横浜の学童疎開の特別授業がありますから来ませんか」
「行きまーす」
ということで、今や地下駅となった反町駅から、のこのこと青木小へ。
おお、僕らの頃の正門はまだ残っている。その入口ではなく左へ廻れとある。
インターホーンで来校理由を述べると施錠が解かれる。
そう学校って今大変なんだ!
6年生全体の特別授業に講演する方々はもう見えてて、中の二人がボクの12歳上の大先輩。しかも高校(旧制中学)も大先輩。
青木小は、湯河原温泉に疎開、湯はいっぱいあっても、石鹸が無いのでシラミ退治で大変だったと。中には山林だらけだった港北区や戸塚区に疎開した学校もあるとか。
女性講師は旧制の平沼の2年の時に鶴屋町の家が全焼、兄と父を失い。幼い弟と妹が残る。
母から「学校辞めて働いて」と言われ
15歳からずーっと家のために働いたそうで、やっとのことで夜間高校、夜間大学を出たとのこと。
先生も生徒ももらい泣き。
「戦争は一日で人生のすべてが変わってしまいますよ」
ボクもウルウルきましたね。
写真①青木小正門付近、右の煉瓦の階段は戦前の本校時代からある。
②講師の大先輩と、ご苦労した女性講師
③真剣に聴く小学生たち。
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